答えるチャンス
先日と今日、同じような体験をしました。(シンクロのようでもあり、今後に用意された流れなのかもしれない、いずれにしてもありがたいことです)
友人から質問があると持ちかけられて、真理や孤独についてのわたしなりの話をするっていう。
スピリチュアルに興味のある仲間がzoomで4〜5人集まって、あれこれ話すことはあったけど、指名されて2人きりってことはなかったと思うな。
わたしの潜在的な望みは「自分のなかの良きものを人に渡す」ことなので、こんなふうに好きな分野の質問されて答えるチャンスをもらえることは、大変嬉しい出来事です。
ささやかだけど真理についての初めての自己表現でした。
ひとりめの友人は強い孤独感で苦しんでいるとのこと。
以前わたしが「最近まで孤独感がすごく強い人間だったけど解消したんだよね」と話したことがあり、そのことを詳しく聞きたいということでした。
わたしは孤独の感覚が麻痺してるところから、孤独をしっかり自覚して苦しむ時期を経て、解消・溶け去るという経験
わたしにとっては重要な行程を経験しています。
彼女の話を聞くとわたしと同じパターンのように思う、でも簡単には解消しないかな…とも思う。でも必ず解消できることも伝えました。そしてよければいつでも手伝うということも。
こういうことはタイミングがあるかもしれない、さらには私の助けはいらないのかもしれず…です。
すごく簡単に書いたけど、いつか孤独については詳しく書ければと思います。
二人目は、探求の途中でノンデュアリティーを知り、虚無を刺激されて戸惑っていました。
わたしはいない、起こることに意味はないってやつね。
これも手に取るようにわかります、ノンデュアリティーで説かれることと背中合わせの虚無。実際わたしも同じだったから。
そして今もあるけど虚無感。
ノンデュアリティーを取り入れるときには、必ずもう一つの柱も一緒に掴んでおかないとなぁ人間は。
だってニンゲンだもの。
ノンデュアリティーに一生懸命になる分、一方の柱である煩悩・執着にもきちんと取り組まないといけない(掴む手放す同時に)、とわたしは思います。
こちらも簡単に書いたけど、いつか詳しく書ければと思います。