いかめしちゃん日記

いかめしちゃん日記

自我も真我の中

フィルムと光と


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「生きることは傷つくこと、そして、癒やし続けること」

最近の私の心情にぴったりきた言葉です。

 

私たちは、本来は光なので傷つかない。
傷がついてるのは、光を写すフィルムの方です。

 

嫌な目にあいクタクタになれば、自分がすり減った気がする。
でも実は、何もすり減っていないのです。

 

それでもやっぱり
フィルムは外せないし、何かがすり減っているのは間違いない。

 

これが "生きていること" そのもの、

最近ほんとうにそう思います。

 

傷ついて苦しいのも、癒されて気持ち良くなるのも

生きてることの仕組みの一つ。

 

生きることは傷つくこと、そして、癒やし続けること。

今、自分がこの仕組みの中にいることが、素晴らしいと思えます。

成長したな、私。

 

 

それともう一つ


大切な人に、いつも楽しくいてほしいって思う

けど
嫌なときには、ちゃんと嫌な気持ちになったり
泣きたいときは泣いて、悲しんで
なりたい感情に、存分になってほしい。

 

人にこうあってほしいなんて、本当は望む必要もないのだろうな。

相手のものだから、相手に任せるよ。

 

だけど、望みたければ、こうあってほしいと望めばいいのだろう。

これは自分の自由の範疇でもある。

 

私だったらこのさじ加減をどうするのか、なんだけど

ちょうどいいところは人によって違うし、時によって変わる。

いつでも手を貸す用意はしておきつつ、基本はそのままにします。

 

苦しむ人を見るのは辛いもの、でも、人の宿題をやるわけにはいかない

だから、もどかしかったり、苦々しい気持ちも生まれるけどね。

 

こういうの全部が、人間になった醍醐味でもあるんだろう。

そう思えるようになったよ、

ここまで成長したんだな、私。

向こうの私


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私は電話で話す仕事をしています、

いまでは、電話の向こうの人は もう一人の自分だと思って話すことが多いです。

 

ときどき、思い通りにならない事態にもがいてわがままになり、対応が難しくなる人がいます。

そんなときは「これが今日の私?」とバロメーターにしてみたり、

そんなことないか、、と思ってみたり。

 

人のことを見て嫌だなと思うものは、自分の中にもあるもので

その部分が疼いて嫌な気持ちになるのかもしれない。

 

 

ツイッターの中でのこと

いつも、年齢や性別は関係ないと思いたいのに

ツイートに、いい歳してとか、おばさんとか、BBAというの見かけたとき

反対に、若いのに、というのを見たとき

いったん引っ掛かってしまうのは、人一倍気にしているってことでしょうか。

 

同じくツイッターの中

BTS の日本ファン(イルアミと呼びます)の

既存のルール・マナーをまとめて、広く知らせたいという活動を見かけたとき 

引っ掛かって、気が重くなったのは

私は、人をコントロールしてはいけないと思っているからだし

さらその裏には、逆に人をコントロールしたいという欲求があるからなのでしょう。

 

 

結局は、コントロールしたければ すればいいし、

されたくなければ避ければいい、嫌と言えばいい。

自分がいい歳してると思うなら 言えばいい。

実はこれだけのこと。

 

人生は嫌なことが少ない方が快適そうだし

嫌いが多いってなんとなく良くない気がする、と思っていたのは過去。

好きも嫌いもあっていい

何かを嫌うって、楽しかったりするよね。

その分好きなものがより輝くのかと思う。

 

 

電話の向こうのもう一人のワタシのことなど、どう思ってもいいのかもしれない。

人は鏡であり、もう鏡でもない、

見るべきは、鏡のもっと向こうです。

ここでしか


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1年弱ぶりに会った私の友人、

いま交際しているお相手が、すごく年下の方だそうです。

交際は楽しく順調とのこと。

 

ただ彼の方に最近、子育てしたい気持ちが芽生えてきたらしく

友人の方は、年齢的に過ぎております。

そんなこんなで、彼女は幸せと辛さの渦中にいました。

 

以前の私なら、早く彼を手放すように、と言っていたかもしれないです。

自分でも意外だけど、いまはそんな気持ちにならなかった、

要は、彼にしがみついて泣くしかないよね、ってことを言ってました。

 

何が良いことかは私にはわからない

別れるのも、しがみつくのも、どちらもエゴということはわかる、

それなら、本人がしたいことをする以外ないだろうと。

 

 

話を聞きながら、彼女にはしがみつくものがあって羨ましいな、私もしがみつくものが欲しい、と思う自分に

私は変わったんだな、と思いました。

 ”しがみつく” とは、私が毛嫌いしてた執着そのものでしょう。

 

思えば、私自身は、執着を嫌い続けることに執着しているんですよね。

執着を毛嫌いしすぎるのも、しがみつくものを持てないことも、私のエゴなんだと思います。

 

 

それでも以前にはない変化はあって

簡単に言えば、この世の理不尽な仕組みに感心したり

その中で人間はよく生きている、と感心したり。

 

確かに私は、自分でこの容赦のない仕組みに入って来ました。

 

それをまだわからない頃にメンターに言われた

「ここ(地球)には、ここでしか見られない綺麗なものがたくさんあるよ」

その意味と、メンターの優しさが、今ならわかります。

そして、ずっとわからなかったけど

人間がなぜ、祭事や祝い事をするのか、生きることを祝いたくなるのか

もっと言えば、自然や命が何を指すのか、が

最近やっとわかるような気がします。 

 

 

 

二人の終わりがきたなら私が慰めるから、と言っておきました。

そこにあるのは全部が彼女と彼だけのものです、すべてが糧になるように願います。

 

彼女と彼の、その先の話。

今度会ったときに聞かせてもらうのが楽しみです。

その先に


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昨日、整体を受けたときのこと

施術前に ”今の自分の体の状態は、100点満点で何点ですか” と質問がありました。

なんやかんや話しつつ

腰の痛みと肩こりをマイナスして、86点くらい? と点数をつけてみました。

 

そして施術が始まってみると、改善すべき箇所はたくさんあって、とてもじゃないが86点ではないらしく

整体師さんは私のこと、自己評価が高いですねぇ! と笑っていました。

 

そんなに私の体は頑張っていたのかと、妙に満足したけど

それにしても、私はもう自分に低い点数をつけるなんてできないな、と思いました。

 

だらしないも、忙しいも、失敗したかなと思っても、例えどんなことをしても、それがベストで最良。

 

 

汝光なり

われ光なり。

 

身に付けさせられたものがあるなら、少しずつ脱いでいけばいいだけ。

そして、本来の本当の自分に戻る。

 

 

 

最近とくに

 

私が私で本当に良かったなと思っているんです。

 

本来は源といわれる全体のほんの一部だけど、今は人間であり、その根本はスターシードであり

この2つはどちらも、いわゆるキャラなのも知っている。

どちらも愛してる。

 

源から分離して自我があって、自分を感じられるのは自分だけ、なのも

感覚があるおかげで、こんなふうに、自分だけの苦しみや痛みがあるのも

全部が幸せと思う。

 

あとは

 

なぜ自分が人間なのかわからないまま、ここまで来て

つねに神の愛だけがほしくて、人間同士の愛はいらなかった私。

 

でもいよいよ、人間同士の愛に満たされなければいけない段階になりました。

 

道を進むと、いろんなものが取り払われては、また次が現れる。

 

この先がどうなるかわからないけど

改めて、私にとって最難度の取り組みの始まりです。

 

 

私は諦めないということだけは決めてます。

テテが救うもの


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以前あるドラマの中、気に入ったセリフがあったのでメモっておきました。

ビールに関わるドラマの、ビールを語るシーンです。

 

「あの琥珀色は見ているだけでうっとりするし

パチパチはじける音はまるで音楽のようだ。

美しいものうまいもの心地いいものは、人間を卑しさから救うものらしい」

 

これは素通りできない、と思った美しいセリフでした。

 

 

 

さてこのたび、

BTSメンバーがデザイン・企画したグッズが商品化されました。

 

いま、数日おきに一人ずつアイテムが発売されてます

見ていてすごく楽しい企画です。

 

 

グッズはいつも発売と同時に売り切れらしく

比喩ではなく本当に、”秒”で売り切れている様子です。

 

テテことキムテヒョンが企画したのは、バッグとブローチで

個性的なデザインが、まったくもって彼そのものでした。

 

私テテが大好きですから

彼のバッグもブローチも、もちろん欲しいですけど

 

グッズが実際に手に入ったらテンション上がるだろうし、

争奪戦に参加して買えなくてがっかりするのも、素敵なことなんですけどね。

 

よくよく考えてみても、この世にテテのバッグとブローチが存在するってだけで、

結局は満足でした。

 

 

テテがこの世界に生きてて私の前に現れたことが最初であり、と同時に最後であり、すべてである。

いつものように、こんなふうに思ってしまった次第です。

 

 

最後に、最初に紹介したセリフでテテのことを。

 

美しいもの心地いいものは人間を癒し、救うものらしい。

テテの美しさは見ているだけでうっとりするし、彼の声が耳に入るだけで幸せになる不思議。

おそらく私は彼がいなくても幸せだけど

私は確かに、彼によって救われている、本当に。

 

 

思い切って


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私はBTSのキムテヒョンが大好きです。

キムテヒョンは私への、そして世界への素晴らしいギフトだと思っています。

 

 

少し前に、バンタン関連のTwitterから見つけた人がいまして

その方は、Twitterとインスタで、かなり変わった嗜好のクスッと笑える楽しい世界を展開しています。

テテ(キムテヒョン)になりきってインスタに写真あげたり、部屋で踊ったり、テテのクリアファイルと楽しくデートしてる投稿が、なんともおかしくて可愛らしいわけです。

 

こんなふうに好きをみんなに伝えること、ちゃんとアピールするってエライなって思います。

自分の中だけで終わらせないで、楽しんている姿を人に見せるのは素晴らしいことだから。

好きなことを心から表現することは、囚われている人たちを解放していくことになる。

 

この方、目立つから批判のメッセージも入るらしいけど

あらゆる人の刺激になる以上、ある程度の反発もつきものなのでしょう、

そんなのも受け入れつつ。

 

私もぜひ、こんなふうに進んでいきたいなぁと思っています。

 

 

あるとき見ていた youtube

「すべての人は世界に対するギフトです」って言葉に、ふと目の覚める思いがしました。

ギフトってキムテヒョンだけでなく

あなたも私も、世界へのギフトなんですって。

 

 

難しく考えるのが好きな私、

これは本当に自分に相応しいのかとか、日々の迷いとか、これからもやっていくと思う。

でも、できるだけシンプルにするのがいいかな。気負いとかは小さくして。

 

好きなことを楽しむ

やることは何でもいいんだよね。 

 

 

スーパーチャムチよ鮮明に


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世の中は基本的に、みんなシフトアップを求めており、そこに向かっている

 

なのに

私の流れはシフトダウンすることにも、向かっている。

 

 

私のシフトダウンとは、地球への着地どころではなく

グラウンディングだけど、もっと強い作用で

私自身を地球へねじ込むようなこと。

 

 

ついこの前、このブログに、私には達成や充実がない、

「ないものはない」と書いたばかりなのに。

 

なのに

しっかりシフトダウンすることで、私も充実が得られると理解できてしまった。

 

 

シフトアップとシフトダウンは、私の両輪になる。

捨てることと執着することは、私の両輪。

 

 

私がしていた探求って何だっけ、って勢いで反転しそうです。

 

そして怖くもある。

でも私は出来るでしょう。

 

 

 

12/4に JIN が、スーパーマグロなる曲を公開した。

せっかくのタイミング、

この曲に私のシフトダウンを重ねて、

私の中にいつまでも鮮明に残りますように。