いかめしちゃん日記

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自我も真我の中

ここぞの場面


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某所にてこの前ありました、数人が集まり、和やかに意見や感想を述べる、ささやかな場面でのこと。

ある知人の発言に対して私は

「気持ちはわかるけど、私の考えは違うよ。私はこう思う」という、やりとりをしました。

 

そのとき私が使った言葉は「まったくの同意ではない(基本同意だけど違いがあるという意味)」

だけど知人には「まったく同意できない」と聞こえていたようです。

その場は和やかなまま解散となり、家に帰ってしばらくして、一人で振り返ってから気づきました。

私はそうは言ってないけど、強く否定したことになってます。

こうなると正しく伝わっていなかったことが引っかかるし

多分ちょっと傷つけたかもって、モヤモヤした気持ちになってしまって。

 

 

人と会って話すときや、こうして書くブログや、SNS投稿など

ここぞという場面では、自分の思いを正確に伝えたい。 

出来るだけ精一杯、思いを伝えています。

そうするのが楽しいし、好きだから。

そしてあとから、どんな形で伝わったのか必ず気になる。

さっき書いたような、はっきりしたすれ違いではなくても

「やっぱり言わなきゃよかったかな」「どう思ったかな」といつも小さな後悔がつきまとう。

 

 

そして、

5月放送のアメトーーク「生きづらい芸人」から思ったこと

この回は、考え過ぎて日常がぎこちなくなってる芸人たちのお話。

 

出ているみなさんは、人の気持ちに敏感で繊細な人たちで

人を尊重するあまり、気遣いが自分の中で何周もして苦しそう。

 

私も彼らの気持ちがよくわかる、

人が、自分の言動をどう思うかが気になるよね。

自分のことを正確にわかって欲しくてたまらない人たち。

だけど、叶わないそのことと格闘しているように見えます。

わかってもらえないこと を、諦められない人たちなんだと思いました。

 

と同時に、これはかつての私であって、もう変わってしまっている。

「彼らの気持ちがよくわかる」と書きましたが、もうわからなくなってる。

つまり、彼らを見ることで、私はこんなに変わったんだなと変化の度合いを知りました。

 

 

知人に伝わらなかった言葉は、もちろん仕方ない。

彼女にはそう聞こえないといけなかったのかもしれない。

 

思った通りに伝わらない、その都度起きるすれ違いも、大きな大きな視点で見るとどっちでもいいこと。 

 

あとはこれもある

楽しく会話したし、気持ちを伝えあった充実感もある。

なのに後から、いつも少し寂しくなる。

相手が受け取った瞬間に、相手のものになって形と色を変えるから。

いつだって私の思ったことを純粋に伝えるなんて叶わない。

そのまんまで受け取ってほしいけど、それは叶わない。

 

 

そんなことも、こんなことも、全部受け止めるしかないか。

これでいいのさ、これで。 

この寂しさも後悔も、全部これでいい。

 

「神は、人間が完全なものを作るようには、作っていない」って、最近すごくしっくりきている。

 

完璧に、なんてない。

なんにも思い通りになんて、ならない。

 

まるっと飲み込んでしまおう、愛してしまおうと思う。

それが、乗り越えること、なのかと思うこの頃。