いかめしちゃん日記

いかめしちゃん日記

自我も真我の中

全部好きに使え




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ずっと前のこと、いつどこで読んだのか忘れましたが、こんな話を覚えています。

ーオレのじいちゃんかっこいい

ー小遣いをくれるときは必ず「全部好きに使え」と言って渡してくれる

ー無駄にするなとか、タメになるもの買えとか言わない

ーだからかっこいい。

 

人に渡したお金は、どう使ってくれてもいい、指図しない、任せてくれる、

これはかっこいい態度だと、私も思います。

 

小遣いに限らず、あげた品物、人に向けた愛情、なんでも。

あげたなら、あとは人のものというのが基本です。

口出しするなんて野暮、と言ったら言い過ぎでしょうか。

 

 

ここで、BTSのジョングクに関することを少し。

彼はこの2年くらいの間で、身体に直接施す装飾がとても増えているようです(直接?装飾?伝わりづらいですがここはやんわりと表現するに留めます)

まだはっきりわからないものの、最近は口元にも増えたようで、

Twitter・ネット上には、肯定する反応と否定する反応、いろいろ大量にありました。 

 

だれもがある種の期待を無意識に持って過ごしていて

思い通りに進まないとき、期待はずれのとき、悲しみや怒りを感じるものです。 

彼に関するつぶやきには、ここから派生するさまざまな気持ちが溢れていました。

 

 

否定の反応をする人たちは

自分が思っていた彼とは違う人になっていくのを目の当たりにするのが、苦しいようです。

それなら好きの感情がなくなればいいのに、なくならず、ねじれた感情になる。

 

彼を責めたくなるのは

自分がいま無自覚に縛られてる常識の枠を、彼はあっさり大きく飛び超えてしまったから、だと思う。

一緒に飛び越えられなくて、どうしたらいいかわからない。

 

人を思い通りにすることはできないから、自分が変わるか、離れるしかないのに、できないんですよね。

その人に使ったお金、愛情、好きだった過去も後悔の対象になってくる、

こういった気持ちって、簡単に言うと「愛憎」というものかと思います。

 

最近、私が気に入っているワード「愛憎」です。

 

反対の、グクの装飾を肯定する反応の方にも、愛憎は見てとれます。

どちらも相手のことを変えたがってる。

 

 

今回この話題に注目したことで、

愛憎は、こんなにも個々の人生や世界をドラマティックにする要素なのかと、つくづく思います。

愛も憎も、思う存分するしかないですね。

 

本当の本当は、いらないけれど。

 

とはいえ、これにまったく関与しないarmyもたくさんいます、

わかりやすい反応を切り取って、私はこう思った、ということを書きました。

実際「オレのじいちゃん」的な armyはたくさんいるのかもしれません。

 

そして私はいつも、

防弾少年団は、人が持つ痛みに触れるのが本当に上手だな、と思います。

彼らの魅力の一つです。

 

さて、

私はこれから IN THE SOOP 2  のリピート祭り です。

あと、オンコンもね。