浮き沈み
ある夜のこと、気づいたら月が明るかったのでカーテンをあけて月を見て、それから玄関を出て、外で星を見上げた。
頭の真上にある星は、白鳥座のデネブとアルビレオだっただろう。
7月はじめまでは幸せ絶好調だったんだけど、その後ずっと辛い気持ちが続いてて、疲れてしまった。幸せであると同時にいつも悲しみがある。何が悲しいのかと手に取って見ているような日々。
身近に悪いことは起きていないですが、いつも通りにしなからも気分が沈む。
4月のブログにもしんどい様子を書いてます、いったい何周目かというほど、毎度わき上がる感情です。この感情には、いわゆる絶望感とか罪悪感とか名前がついていますね。
自分の中にこんな感情を探してしまう自分の性格に疲れます。
私の場合は、人類が真理と一体になるとか、とにかくそんなことが望みなので
生きているうちに完遂はできないのはわかっている、
達成できなくても喜びを持って受け入れて、ほんの少しずつ進むしかないのもわかっている。
それができれば幸せだけど そこまで手放せないと思った7月でした。
ちょうど先日、音楽をやっている次女がTwitterで
【 何をどう努力したら私のやりたいことがどこまでできるようになるのだろうか 】と呟いており、私もそう思ってたよ、彼女もおそらく同じスタートに立ってるのかな、と思いました。
だがしかし努力って重いです、(地球独特の設定ではないかと…)私は苦手です。
でも努力すれば済むことなら易しいとも思う。努力は免罪符の効果もあるよね、その意味では優しくもある。(機会があれば努力のことも書きたいですね)
そして私には乗り越えられない辛さがもう一つあるので、少しだけ触れておきます。
夫のことがときどきとっても辛い。重いとも言える。これは乗り越えられないなぁ、乗り越えられるのかな、いつか。
ブレないこと、中庸を目指してはいますが、生きるというのは浮き沈みそのものだな、と思います。
ちょっと前までは「ただただ幸せ! 」って言ってる私もいたし、楽しい私もまた近々やってくるでしょう。
とにかく今のところ、うまいものをたくさん食べるようにと心がけてます。現実で感じられる幸せをしっかり受け取らないと疲れすぎてしまうよね。
あとはもちろん、毎日バンタン。
朝起きるとき、今日も彼らの歌が聴けると思うと嬉しくなる。私の心の中に彼らがいてくれて、本当に良かった。