テーブルクロスをひっくり返すだけで、全部がないものになるのに
人生は、ない ものを ある と思い込むことで出来ています。みんな一生懸命に思い込んでいる。
思い込むことで、自分が、世界が成り立っています。
私ここ何ヶ月、ずっと自分の感情にのめり込んでいて
「ない」と知りつつ、目の前のドラマ に没頭して、しっかり「ある」と感じているのですが
いつも没頭するのはマイナス中心の感情なんですよね。
人間はネガティブなものにより注目するように出来ているし、マイナスの感情は濃いめの味がするのもありますが。
どうにも、マイナスの中に私なりに片付けなくてはならない用事があって、まだ手放せない終われない状態です。
思考や感情はあえて止めないと止まらない、考えすぎは良くないとわかっているけど、
当面は終わらないと思われます。
絶望は飽きなければ終わらない。
今の私は、これが良い悪いもどちらでもよく、絶賛マイナスパーティーなのです。パーティーつければ内面の暗さがやわらぐね。
ジャンプする前はしゃがむもの。
一生しゃがんでるかもしれないけど、それもまた一興でしょう。
こんなふうに自分の感情を味わっていると、ふと
まるで感想文を書いているようだなと思えてきます。
真我からの出先機関である私の感情は、いわゆる神へと 毎秒・瞬間ごとに感想を報告しているようだと。
朝起きて夜寝るまで、自分のためと、ほかの人のためのことをやりながら、イイ気分イヤな感情、どっちでもない気分、
その感情をただ感じるままにしたり、ちょっと外から感情を観察したり。
SNSの中のこと、直接人と話したこと、何かが起きても、何も起きなくても、
私はいちいち、これらに感情という感想をつけている。
それはもうずっと、終わらない感想文を書いているに等しいな と思うわけです。
出来事に対して私の視点から感想をつけるのが人生なんだな、
人生って感想で出来ているのか、
他の誰でもない自分だけの感想文を延々と書いているんだな、と思ったりしています。
何かで読んだけど、感情は瞬時に宇宙の果てまで響き届いているそうな。
だからぜひ良い感情を響かせたいのですが、
感想文がネガでもポジティブでも、受け取り手はちゃんと受け取ってくれています。