いかめしちゃん日記

いかめしちゃん日記

自我も真我の中

いい意味で


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普段から、人とは、できれば年齢も性別もこだわらず、中身を見て接したい

そういうフィルターを通さずに見るのがいい。

 

そういう区切りは便宜上使うことはあるけど、実は必要ない と思う。

大きな大きな視点から見れば、人間はただの波動のかたまり。

 

でも、せっかくなので性別も年齢も、あらゆる区切りも、いい意味でちゃんと利用したほうがいい とも思う。

日常生活の視点は、フィルターがあって区切りを見分けている。

 

このフィルターがなかったら、あんなに美しいキムテヒョンを見られない。

だめだめ、もったいないったら ない。

 

 

ここならではの設定があって

波動のかたまりは自我があって、

かたまりごとに違いがあって、不平等で、

あらゆることが渾沌だからこそ、苦しくて楽しいわけで。

 

荘司では、渾沌に目鼻口を付けたら、渾沌は死んでしまったよね。

 

 

一方では

悟り・覚醒・目覚め、これらはとても身近になり、だれでも触れられる時代になりました。

大なり小なり、悟りはもう難しくないかもしれない。

 

だいじなのは、例え悟ったとしても、そのあとも人間としての生活が続くということ

終わりが来るまで、人間だし、めんどくさい生活は終わらないのです。

明日も仕事するとか、生活のいつものルーティンはなくならない。

 

 

さて、

最近、YouTubeから思ったこと。

うまいこと人の興味を引く内容で、活発にコメントが付いてる動画です。

特に目立つ刺激的なコメントには、対抗するコメントが群がっている。

いろんな角度からコメントにコメントが追加されて、延々と…

よくある光景です。

 

人によって、あとは場合によって、正しいことは変わるので、

その、みんなが頑張って書いたコメントは、いろんな意見があるというだけのこと。

全部がただの違いです。

 

そこから私は、知覚をぐーっと広げて、これを世界の全てに当てはめてみました、

世界どころか、目に見えない方まで当てはめてしまいました。

 

この世はつくづくどっちでもいいことで出来上がっている…

あんなことも、こんなこともで

こうして書いていることも、含めて、もう本当に何もかもです。

全部ぜんぶ、結局はどうでもいいことなんです。

それを、どうでもよくないと思うことで成り立っているんですね。

 

ミクロで見れば苦と愛憎の渦の中、

みんなこの渦の中で一生懸命生きなければならない。

 

でも、マクロで見ればどうでもいいこと。

どうでもいいことだけで、ちゃんと成り立っている。

 

 

私はミクロとマクロの両方に立っているし、

自分の世界は自分が作り出してる、

けど、体は疲れるし、面倒なことは多い。

 

終わるまで終わりじゃないって、幸せなことであります。

優しさを感じます。

 

 

私がやることといえば

自分と会話して、ひたすら肯定して、ひたすら愛して  

それが当たり前すぎて、愛していることさえ忘れてしまっていいくらいだと思う。

 

自分を愛することより大切なことなんてない と思います。