いかめしちゃん日記

いかめしちゃん日記

自我も真我の中

全部あって全部ない

毎度まいどの自己探求ですが、 少し前までお疲れ期でした。

わたしは常に探究せずにいられない性質だけど、波はあるよね、たまに疲れちゃうよね。

 

わたしのいまの旬は、ジュニアーニ?  知覚派?  アドヴァイタ? と言われるものかな。

 

そこで言われることは

「ただすべては沸き起こり消えていくだけ、針の先端に迫り続ける、常にそこに留まる」

これはわかるのです、それは全くその通り。

 

ここで重要なのは  [ただ真我至福]  であること。

 

そしてやっぱり思うのが、それだけでいいのかなぁ、自分だけが至福に留まっても、なんかなぁ…。

[真我にある] を突き詰めると、

感覚・感情が不要だし、実際に目の前に起こる事柄には意味がないし、体はないし、わたしもいない。

 

だが、生きていれば実際はそう簡単に右から左に流せないことばかり、流す [だけ]  でいいとは思えなくて。

 

意味づけは自分の好きなようにすればいいのだけど。

なにより、自分だけが幸せでもやっぱり不完全なのです、わたしには。

こんなふうに、毎回毎回ちゃぶ台ひっくり返し論が自分のなかで繰り広げられる。

 

いまの時点でのわたしが微かに思うのは、真理真我にありながら実際の体を生きるしかないということ。

感情と感覚めちゃ使う。喜びや悲しみもあるってことで良い。

困ってる人もわたしの一部。そしてわたしはない…みたいな。

どっちかだけ、どれか一つ、ではないんだよね、どれもある。

 

・執着は捨てて、かつ執着して生きていこう

・わたしなりに生きて、そっと人を支えていこう