ここは、非日常
自宅を離れて、1週間が経ちました。
先日から、出産直後の娘を手伝うために上京しています、
いつもの日常を離れて、違う土地で、娘と孫の日常にどっぷり浸る毎日。
移動初日に咲いていた桜はもう散り始め、道路に花びらが舞う。
こちらで過ごすのは、あと10日間の予定です。
ここの住まいは、テレビはなく、ネット(光回線・Wi-Fi)も繋がっていない環境
こんなふうにネットや映像の情報が極端に少ない中で、自分が何を感じるのか
観察せざるを得ない状況がスタートしました。
普段の自宅の私は、テレビやPCで youtube などを見ています。
せっかくだし、この期間はネットの世界から離れて健康的に過ごす
と言いたいけれども、
やっぱり見たいものは見たかった。
到着して最初の3~4日間までは、慣れない環境が大変なうえに
娘はできるだけ寝かせておきたいので、ホントおしゃべりの相手がいない。
目の前のベビーちゃんはもちろんしっかり愛でつつ
家事育児しっかりサポートしつつ
空いた時間に、自分のスマホの通信容量を消費して(私の契約している通信容量は多くないので)
ちょこっとだけ見る状態で過ごしてみました。
でも、どうしたって物足りない。
我慢というのは大げさだけど、足りない何かがあります。
こんなとき退屈を感じる頭の中(思考)は、自分でおしゃべりをし出すのが常です
そして、こういうときの思考が語り出すのは、ネガティブな話題に寄りがちに。
慣れない環境にいるからか
外から入ってくる情報が極少量だからか
話したくても相手がいないからか
自分が我慢している自覚がそうさせるのか。
気分は自分で選択できるのを知っているし
目の前に何の不足もなく、満たされているのに
それでもマイナスを探して感じようとする思考。
嫌なことなんか何も起こっていないのに、陰気な気分になったりして。
自分の気分には、陰も陽もどちらも同じくらいあるのは感じました
そのどちらでもない0的な視点もちゃんとあった、
でも自然にオートマティックに0に浸ることは難しかった。
放っておくと陰に片寄るのを、客観的に見ていた。
湧き上がってきちゃったのが、ネガティブであっても否定せず
PCのキーボードを打って、文字にして、自分の外に出してみる。
前からやってたけど、改めてこれはいい方法だと思った。
気分のシステムって不思議というか何というか
この数日はとても観察し甲斐がありました。
1週間経ったいま、おしゃべりや陰気は静かになり
ネットに関しては、実は、追加料金でデータチャージすれば解決するんですよね。
引き続き、サポーター頑張りたいと思います。